参考リンク→ブラウナウBraunauの公式サイト(ドイツ語) →ブラウナウ(Wikipedia)(英語)(日本語) |
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(外部リンク) アドルフ・ヒトラー (日本語@Wikipedia Japan) ヒトラーの著書「我が闘争」の説明につづく |
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<ブラウナウ・アム・インの位置> ●がブラウナウ●がザルツブルグ●がリンツ−線の上側はドイツ領、右上はチェコ領 Map from (C)MSN Encarta World Atlas |
ヒトラーの著書「我が闘争」(Mein Kampf マイン・カムプフ) 当時「ナチ(ス)の聖典」といわれていた本で、彼は刑務所の中でこの本を著した この本の中で彼は「アジア人は白人より劣る」意味のことを書いている 現在でもドイツでは法律にもとずいてナチス関係はすべて発行禁止になっている |
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ヒトラー・ナチス:政権を握る〜ヒトラーの最後、ドイツ敗戦 |
ヒトラーの国家社会主義ドイツ労働者党(NAZI)が 1932年7月国会選挙で第1党の地位を獲得 ・1933年1月ヒトラー内閣誕生 ・ナチス焚書(ふんしょ)事件 ・ベルリンオリンピックが開催される ・オーストリア併合 ・ミュンヒェン会談 (1938) ・ドイツがソ連を奇襲攻撃し、独ソ戦が開始 ・ベルリン陥落(1945) |
ヒトラー「総統」の最期(さいご) ソヴィエト軍の首都ベルリン突入後、防空壕(ぼうくうごう)で愛人エヴァ・ブラウン、愛犬と共に ピストル自殺をしたといわれている その直後、遺体は側近によって庭で火葬にされたとされ、 遺骨(頭蓋骨の一部)は現在ロシアで国家公文書保管局に保管されていると言われる (筆者注:ベルリンを陥落させ、官邸に突入したのは「ソ連軍」) |
当時のこと、様子をもっとくわしく知りたいひとはこの下のリンクで読んでください 「ドイツ現代史一問一答」(HP「ドイツ現代史を訪ねて」(リンク被許可済)) |
(付録)関係の人物・ことがら・事件・・歴史をより深く理解するために・・
ヒトラーの盟友:イタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニ
ムッソリーニ(左)とヒトラー 出典:Wikipedia,Afrikaans,Hitler 解説→ファシズムの台頭(たいとう) |
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松岡洋右 東条英機 |
1933年2月24日 日本、国際連盟脱退 (正式脱退は3月27日) 1940年9月27日 日独伊3国同盟 日本はドイツ、イタリアと軍事同盟 1941年12月8日 日本海軍、真珠湾奇襲攻撃、太平洋戦争始まる 1945年8月15日 日本、「ポツダム宣言」受諾・敗戦 →連合国軍(アメリカ・イギリス他)日本占領 |
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