ホロコースト、ジェノサイド、そして今現在の世界の動き

 生かされない歴史・くりかえす歴史:第二次大戦後の主なホロコーストジェノサイ、関係リンクなど


 ホロコーストってなに?   ジェノサイドってなに?



中国・・・南京大虐殺
   ・・
日中戦争時、日本軍が捕虜を殺害また市民に対して不法殺害、暴行、放火、レイプ
    などをした 死者は数千人から数十万人など諸説があって、現在でも議論が分かれている


パレスチナ・・・・ユダヤ人国家イスラエルによるパレスチナ人虐殺
             「パレスチナ」問題ってなに?
 
             
パレスチナ問題の歴史
             パレスチナでの「虐殺」行為
             「兄」ブッシュをまねるシャロン

カンボジア・・・・ポル・ポト政権によるカンボジア国民の大量虐殺
            【魅惑のアジア一人旅】ポルポトの爪痕

             関連映画:「キリング・フィールド」
            「キリング・フィールドからの生還・わがカンボジア殺戮の地」

イラク・トルコ・イランとクルド人問題
   ・・
クルド人(Curd)は「独立国家を持たない最大の民族」と呼ばれ、
    イラク、イラン、トルコ、アルメニアなどに分かれて住んでいる
    それが悲劇の原因である

            (写真:サダム・フセインに殺されたクルド人/残酷シーンあり


(参考:第二次大戦まで(ヒトラー以前)のホロコースト、ジェノサイドまたは類似の物)
アルメニア人大虐殺・・オスマン・トルコによるアルメニア人虐殺
アムリットサル(虐殺)事件・・イギリス軍がインド民衆を千人以上殺した事件
三・一独立運動・・独立を叫ぶ朝鮮民族に日本は警察・軍隊で弾圧、死者7500名を出した
霧社抗日事件・・日本の支配に抵抗する台湾・高山族を日本軍が鎮圧、700人以上が死に、
            捕虜400人以上が殺された




ドイツの戦後の政治理念

<高い政治理念をもった信念の政治家>
ドイツ連邦大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard von Weizsacker )


 「・・・略・・・1984年カール・カルステンスの後継として、ドイツ連邦共和国大統領選挙にCDUから立候補し、連邦議会で選出された。ヴァイツゼッカーは、その演説によってドイツ内外に感銘を与えた。ヴァイツゼッカーは、全ての政治的党派を越えた威信を保持し、1989年大統領に再選された。大統領退任後も、国家の元老であるにもかかわらず、政治及びの慈善事業の第一線で活躍し続けている。ゲルハルト・シュレーダー政権によってドイツ連邦軍改革委員会議長に任命された。また、「Three Wise Men」の一員としてヨーロピアン・コミッション(the European Commission)に任命され、EU統合の過程を担っている。

 
『荒れ野の40年』(邦訳は岩波ブックレット)と題する1985年5月8日のドイツ連邦共和国連邦議会における演説の中の一節“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”で知られる。他にも“自由民主主義体制において必要な時期に立ち上がるなら、後で独裁者に脅える必要はない、つまり自由民主主義擁護には法と裁判所だけでは不足で市民的勇気も必要”など名言は多い。・・・略・・・

(以上”Wikipedia”より引用)

 
<アウシュヴィッツ解放60周年・2005>
   2005・1・27:ドイツ首相シュレーダーの国連における演説
(2010/5現在・上記リンク消滅確認) 基本内容は下記と同じ
 
  2005・1・25:ドイツ首相シュレーダーのベルリン国立劇場での演説

アウシュヴィッツ強制収収容所解放60周年にあたって
                 2005年1月25日、ベルリン国立劇場にて
              ドイツ連邦共和国ゲアハルト・シュレーダー首相の演説(抜粋)

 尊敬するアウシュヴィッツ・ビルケナウの生存者のみなさま、淑女、紳士のみなさま。

 みなさんの前で話すようご招待くださった国際アウシュヴィッツ委員会に感謝を申し上げます。私は、このご招待は決して当然のことではないと信じています。私たちドイツ人には、人類最大の犯罪を前にして沈黙するほうがふさわしいのかもしれません。絶対的に反道徳的で無意味な何百万という殺人を前にしては、政治的言語は役に立たない危険があるからです。

 残っているのは、少数の生存者と、その子孫のみなさんであります。殺人施設の残骸と、歴史資料であります。殲滅収容所において、悪が示した確証であります。

 古い「悪魔のヒトラー」の話に逃げ込んではなりません。ナチイデオロギーには前提が無かったのではありません。人々の思考の粗暴化と道徳的に自制を失ったことが、その前史であったのです。確実なことは、「ナチイデオロギーは人間が望み、そして人間によってつくられた」ということです。

 アウシュヴィッツ解放の60年後の今、私は民主的ドイツの代表者として、みなさまの前に立っております。私は、虐殺された人々に対して、また特に強制収容所の地獄を生き延びたみなさまに対して、私の恥を表明いたします。

 私たちは哀悼とともに、また深刻な責任とともに、この重荷を背負っております。何百万人という子供たち、女性と男性たちが、ドイツの親衛隊隊員と彼らの援助者たちによって、ガスで窒息死させられ、餓死させられ、銃殺されました。全ヨーッパのユダヤ人、シンチ・ロマ、ホモセクシャル、政治的敵対者、戦争捕虜、そして抵抗運動の闘士たちが、冷たい工業的な完璧さによって殲滅され、または死にいたるまで奴隷化されました。

 過去は、よく言われるように「克服」されようとはしません。それは過ぎ去ってしまうものです。しかし、その痕跡とその教訓は現在にまで到達しております。

 強制収容所で起こった悲惨と苦悶と悲嘆は、これからも決して埋め合わせることはできません。ただ犠牲者の子孫と生存者のみなさまに、一定の償いを実現することは可能であります。連邦共和国はこれまでの長いあいだ、男女市民の正義感に依存しながらその政治と司法においてこの責任に向かい合って来ました。

 現在生存しているドイツ人の、圧倒的多数は、ホロコーストに対する罪を負ってはいません。しかしながら、彼らは特別な責任を負っています。国家社会主義の戦争と民族虐殺を心に刻むことは、私たちの生きた状態の一部となっております。かなりの人々にはこの一部が堪え難いのであります。

 しかしながら、この心に刻むことが私たちの国民的アイデンティティーに属していることが変わるものでは全くありません。国家社会主義の時代とその犯罪を心に刻むことは、ひとつの道徳的義務であります。私たちはこれによって、犠牲者、生存者、また彼らの係累に対してのみ責任があるのではなく、否、私たち自身にとっても責任があるのです。
 忘れてしまおうとすること、記憶を抑圧してしまおうとすることの誘惑が、大変に大きなものであることは確かです。しかし私たちはそれに負けてしまうことはないでしょう。

 ここで、私たちに確かなことは、「私たちが、かつて国家権力によって、自由と正義と人間の尊厳が踏みにじられことを忘れるならば、自由も正義も人間の尊厳もあり得ない」ということです。ドイツの多くの学校で、企業で、労働組合で、また教会で私たちの手本になることが行われています。ドイツは自らの過去に立ち向かっているのです。

 破滅から、ナチスのテロから、私たちすべてに、ある確信が生まれてきました。それは「二度と許さない」という言葉で最も良く表現されています。この確信を私たちは守ろうと望みます。すべてのドイツ人も、またすべてのヨーロッパ人も、国家共同体全体が、敬意を持って人間的に平和のうちに共生することを、いつも新たに学ばねばなりません。

 ジェノサイド禁止条約は、ホロコーストの直接の国際法規の教訓であります。それは、異なる門戸、文化的特徴、宗教、および皮膚の色のすべての人間に、生命と人間の尊厳を世界中で尊重し、擁護することを義務づけています。ここにおいても、あなたがた国際アウシュヴィッツ委員会は、すべての人間の利益のために、みなさまの特徴ある働きをもって闘っておられます。

 みなさまとともに、私は殲滅収容所の犠牲者の前に頭を垂れます。もしいつの日か犠牲者の氏名が人類の記憶から消えしまわねばならないとしても、彼らの運命は忘れ去られることはありません。なぜなら、それは歴史の中心に安置されているからです。
                                    (訳:梶村太一郎、Berlin)

※1985年のワイツゼッカー西ドイツ大統領の戦後40周年の演説『荒れ野の40年』(岩波ブックレット(No.55)のなかに、有名な箇所があり、シュレーダー首相もそれを押さえている。
(以上兵庫県高教祖・神戸県立支部・2005年03月08日より引用)


<参考>
(小中生難解):ドイツと日本における「敗戦・終戦・解放」の記憶
(東京大学ドイツヨーロッパ研究センター・pdf)



 ドイツの戦後補償 
ドイツ政府は第二次大戦後、大戦中にナチの犯した罪の責任を果たすため、
ユダヤ人たちに賠償(ばいしょう=お金で弁償すること)をし、多くの金を使いました。
ドイツの戦後補償(以下内容)


ドイツの戦後補償  1999.1.1.現在
 
法的枠組
補償対象等
金額
第三国との合意に基づく補償 イスラエルとの補償協定
1952
ナチスにより迫害を受けたユダヤ人(右ユダヤ人のイスラエルにおける居住実現等が目的)
35億マルク
包括協定等
(*注1)
ナチス行為により被害を受けた各対象国国民
28億マルク
連邦法による補償 連邦補償法
1956制定、1966改定
ナチスによる被害者で独第三帝国領域に居住していた者。国籍を問わない。
(人的損害に対する補償)
796億マルク
連邦返還法
1967
ナチスにより強制的に収用された動産及び不動産等物的損害についての補償
40億マルク
補償年金法
1992
旧東独におけるファシズムへの抵抗者及びその犠牲者に対する年金を継続し、さらに旧東独におけるナチス迫害の犠牲者に対する補償を実施
10億マルク
その他の法律に基づく給付
(*注2)
上記に含まれないその他の給付
86億マルク
その他 各州が独自に行う補償措置 連邦法の枠外で、各州はそれぞれの州法に基づき、ナチスの被害者に対し独自の補償を行っている。
25億マルク
各種苛酷緩和規定
(*注3)
その他、特に苛酷なケースと見られる事例に対する緩和規定等
23億マルク
       以上、合計(*注4)
1043億マルク

harada,shinichi  remake ドイツ政府の説明資料                   
(注1)
西欧12か国(ルクセンブルク.ノールウエー、デンマーク、ギリシャ、蘭、仏、白、墺、伊、スイス、英、スウェーデン)との包括協定(1959‐64年、9.8億マルク)、 東欧4か国(ユーゴ=当時=、ハンガリー、チェコスロバキア=当時=、ポーランド)との補償協定(61-72年、但しナチスの人体実験による被害者のみ対を対象、1.3億マルク)、 独米包括協定(1995年、0.4億マルク)、 ポーランド、ベラルーシ、ロシア、ウクライナとの「理解/和解基金」(91-93年、15億マルク)、 独・チェッコ未来基金(97年、1.4億マルク)を含む。

(注2)
公職従事者に対する補償(78億マルク)及び国籍を理由とした迫害によって身体に障害を受けたものに対する給付。

(注3)
ユダヤ・クレーム会議との合意に基づく拠出(92年、12.9億マルク)、 ナチス犠牲により戦後難民となった者に対するUNHCRとの合意に基づく拠出(0.69億マルク)及び その他閣議決定等に基づき支払われた各種苛酷緩和措置等を含む。

(注4)今後さらに約230億マルクの追加支出が見込まれている。

(以上"Homepage Harada"より転載)


ドイツ・ナチスの強制労働補償金支払い終了
ドイツで記念式典・2007/6/12
2000年にドイツ政府と企業が50億マルク(当時のレートで約3000億円)ずつ出し合って設立し、ナチス支配下で強制労働に服した人たちへの補償を進めてきた「記憶、責任、未来基金」が約7年間に及ぶ補償金支払いを終了し、大統領府で記念式典が行われた 基金はポーランドなどの元強制労働従事者やその遺族ら166万人を対象に、一人あたり2500ユーロ(約40万円)〜7500ユーロ(約120万円)、総額44億ユーロ(約7040億円)を支払った 米国で1998年からドイツ企業を相手取って補償を求める集団訴訟が相次いだことが発端 ナチス・ドイツ体制下でポーランド人、ウクライナ人、ユダヤ人など800万人が武器製造などの労働を強いられたとされる
(以上:2007/6/13・読売新聞より転載)

 現在のドイツとヨーロッパの政治的な状況 



ドイツ首相シュレーダーのベルリン国立劇場での演説
・・アウシュヴィッツ解放の60年後の今、私は民主的ドイツの代表者として、みなさまの前に立っております。私は、虐殺された人々に対して、また特に強制収容所の地獄を生き延びたみなさまに対して、私の恥を表明いたします。私たちは哀悼とともに、また深刻な責任とともに、この重荷を背負っております。・・(兵高教祖公式HP2005/1



ケーラー大統領:終戦60周年の記念演説(ベルリンの連邦議会)
ナチスのユダヤ人虐殺などに恥と嫌悪感を表明。これまであまり言及しなかったドイツ人の犠牲者に対する哀悼の意を表した。「ドイツは「自由の素質」のおかげで民主国家に生まれ変わった。」(日経ネット2005/5/8)



ユダヤ人大虐殺の記念碑が完成
5月10日ベルリン中心部にユダヤ人大虐殺の記念碑が完成。(ブランデンブルグ門から南に一区画・2700本の犠牲者追悼碑)記憶の風化が懸念されているが、残虐行為への反省と平和への決意を語り継ぐもの。(日経2005/5/8)



ナチス虐殺:10人に終身刑判決、伊裁判所 被告高齢で服役見込めず
イタリア/ラスペツィア軍裁判所は22日、第二次大戦末期の1944年8月、スタツェーマ村で約560人の住民がナチス・ドイツ兵に虐殺された事件の公判で、虐殺罪に問われた元ドイツ兵の被告10人に終身刑の判決を言い渡した。
事件はヒトラー親衛隊機甲師団が村の女性、お年寄り、子供らを一斉に射殺、ナチスが終戦の土壇場でイタリア国内で行った虐殺の中でも極めて残忍な事件の一つとして語り継がれていた。(毎日MSN 2005/6/23)
ホロコースト否定の英歴史家に禁固3年…ウィーン地裁
ウィーン地方裁判所は英国人歴史家デービッド・アービング被告(67)にナチスによるユダヤ人大虐殺、ホロコーストを否定した発言を理由に禁固3年の実刑判決を言い渡した。「ヒトラーの戦争」の著作があるアービング被告は1989年、ウィーンとレオベンで「アウシュビッツ(強制収容所)にガス室はなかった」などと演説し、これが有罪の根拠となった。ヒトラー誕生の地であるオーストリアでは、第2次大戦中ナチスにくみしたことへの強い反省もあって、ホロコースト否定を喧伝する行為を法律で禁じている。・・・                     (2006年2月21日  読売新聞-Y.O.L)
ひとくちメモ : ヒトラーの出身地について>
筆者注:「ヒトラーはドイツ人」と思っている人が多いが、元はオーストリア人である。ヒトラーの生誕地はドイツ国境に近い小さな町ブラウナウである。彼は1889年4月20日にここで税関役人アロイスの子として生まれた。(本来の姓はヒードラーというが、父がヒトラーと改名した)
仏で親族提訴、大戦中のユダヤ人移送、国鉄責任 
第2次大戦中に在仏ユダヤ人が収容所行きの列車に乗せられたのは「人道に対する罪」にあたると、その親族がフランス国鉄と仏政府を相手取って裁判を起こした。当時はナチスの傀儡(かいらい)政権(ビシー政権)だったが、原告は「ナチスに協力した責任は戦後の政府にも継承され、国鉄も責任を免れない」としている。・・

              
(Asahi.com: 2006年05月18日)
ホロコースト文書5千万点、来年公開決まる 
ナチス・ドイツの強制収容所などに関する約5000万点の記録文書が、来年にも研究者らに公開される見通し。ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の犠牲者の遺族や生存者らにしか閲覧が認められていなかったナチス関連の最大級の歴史資料。

公開予定は、赤十字国際委員会の下部組織・公文書館「国際追跡サービス」(独中部バートアーロルゼン)で保管中のナチス・ドイツの文書。虐殺、迫害された強制収容所のユダヤ人、強制労働者ら約1750万人の名前や個人情報、収容の経緯などを含む。・・・・・            (Asahi.com: 2006年05月18日)   
       
虐殺否定の罪で作家を強制送還
オーストリアでナチスによるホロコーストを否定した罪に問われた同国人作家ゲルト・ホンジック被告(65)が四日、逃亡先のスペインからオーストリアに強制送還され、ウィーンで収監された。オーストリアの裁判所は1992年、ホンジック被告の著作「ヒトラーに無罪を」の内容が、ホロコースト否定やナチス礼賛の言論を禁じた同国の法律に違反するとして、禁固一年半を言い渡した (読売新聞2007/10/7)

以上見てきたように、戦争がすんで60年以上経っても、ヨーロッパの国々ではヒトラーやナチスのことは忘れてはいません
むかし戦争を起こした日本も参考にすることがたくさんあります 皆さんはどのように考えますか?


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アウシュヴィッツ強制収容所
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 関係サイト・リンク集 


日本語・生徒向け関係サイト

 アンネのバラの教会(兵庫県西宮市)
 アウシュヴィッツ平和博物館(福島県白河市)
 旅行記「たびそら」
 歴史記録映像(IPA教育用画像素材)

日本語・当HP内生徒向け関係ページ
 「アンネの家」訪問記 サイト内リンク
 広島・原爆ドーム (サイト内リンク)
 広島平和記念資料館 サイト内リンク



日本語・少し難しいですが生徒も見られます)
 アウシュヴィッツ-ビルケナウ強制収容所 
 ホロコーストと旅 (ヨーロッパの強制収容所を巡る旅)
 ナチス政権下の医学的人体実験 
 アウシュヴィッツ(鎌倉風の学園高等部)
ドイツ現代史を訪ねて


日本語ホロコースト・生徒にはやや内容が難しいです)
 ホロコースト記念日:アウシュヴィッツの解放60周年
  (2005年1月27日・これだけ
英語

 アウシュヴィッツ開放60年記念演説:ドイツ首相シュレーダーの国連演説
  
(2005年1月26日・日本語)

 アウシュヴィッツ開放60周年(ドイツ在住者のブログ・日本語)


ドイツ語・大変な情報量で写真だけ見ても参考になります)
このサイトも大いに参考・引用せていただいた優れ物のサイトです
 ホロコースト・ナチスに詳しいサイト"shoa.de" 
                   
Danke sehr fuer Informationen.


英語・大人向きサイト・写真を見るだけでも参考になります)
 世界のアウシュヴィッツ関係サイト検索結果
        英語ですが、ここから「アウシュヴィッツ」を調べてゆけます
 アンネ・フランク・ハウス(アンネの家/アムステルダム)
      
「アンネの住んでいた家」です 写真を見るだけでも参考になります
 アウシュヴィッツ・ユダヤセンター財団 
 アンネ・フランク・センター・USA 
 
ナチによるスペイン・ゲルニカ爆撃 
 ピカソの戦争(ピカソとゲルニカ) 
 アメリカ・ホロコースト記念館, Washington DC
 ワルシャワ・ゲットーの反乱(アメリカ・ホロコースト記念館)



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