ブッヘンヴァルト強制収容所(記念館)
"KZ Buchenwald" Gedenkstaette, Deutschland


(C)2011 Kenji Kakehi





現在の収容所記念館

1937年7月に設置されてから1945年4月のアメリカ軍による解放を迎えるまでの間に、ブーヘンヴァルトには
総計で23万3800人の人間が「囚人」として送られ、そのうち5万5000人以上の人間がここで死亡したといわれる


(ご注意:このページには残酷な写真が含まれています 小学生以下は保護者付き添いでご覧下さい




2007.7特別展の大ポスター


ブッヘンヴァルト収容所長
SS親衛隊上級大佐
ヘルマン・ピステル
在任1941/12〜1945/4

戦後、裁判で有罪(絞首刑)
(1948/9/28死亡)







1937-1945の収容所航空写真 写真左側に現在はない多くの収容棟が整然と並んでいる(展示パネル)





場内見取り図 下の番号、アルファベット記号と合致する(所内案内板)







収容所記念館敷地外にある鉄道線路跡 1943年収容者によって敷設された





復元収容所司令部




当時の収容所司令部1943





復元収容所司令部の門





内側からみた復元収容所司令部





高圧有刺鉄線の内部地上部にも何重もの有刺鉄線が張られている 奥の建物は監視塔





死体焼却炉棟





死体焼却炉棟脇に積み上げられた死体





「殺菌棟」 「殺菌」とはユダヤ人抹殺の婉曲表現





死体焼却炉棟にある「手術室」の手術道具棚 鋸やペンチ、包丁、はさみ、ピンセット類が並ぶ
ここで(下)ヴァルデマール・ホーフェン軍医(SS大尉)が人体実験をしたとされる









死体焼却炉 ポーランドのアウシュヴィッツ収容所にも同じ物があった 「能率良く」囚人の死体を焼く工夫がされている





死体焼却炉の内部 上部には煤がこびり付いている





死体置き場 車は死体を積み上げて運ぶ車





大きな地下室に通じる階段 立ち入り禁止になっている





当時の物資貯蔵所(奥) 今は資料展示館になっている




資料展示館の案内板
ここにあるように当収容所はユダヤ人、同性愛者、ロマ(ジプシー)の他に
「ソヴィエト軍」戦争捕虜も収容したが、多くは殺されたといわれている




収容所内の「ベッド」





館内展示の拷問台





子どもの収容者 子どもでも容赦せず収監した





ユダヤ人たちを検挙し裸にして丸坊主にするシーン





生存者が後に描いた絵





ヨーロッパの強制収容所地図 ドイツ(濃紺)の中央部に当収容所がある (展示パネル)





収容所ではまるで犯罪者・囚人のように顔写真を撮った





(上下)1945年アメリカ軍による解放後、発見された痩せこけた死体 まるで薪のように無造作に積まれている




(以上館内展示写真・パネルを撮影)
(注:当収容所博物館内展示物のパネル・白黒写真等のオリジナル・コピーライトは当該博物館にあります)
(C)Original copyright by Buchenbald memorial museum






不明の扉





収容棟跡に建てられた各収容所の銘のある石柱 同性愛者、ロマ(ジプシー)など犠牲者を悼んで作られた
アウシュヴィッツ、トレブリンカなどの名前も見える






物品販売所(復元)と監視塔(右) ナチは収容者に親族からここに送られた金を巻き上げるため売店で物を買わせた




(C)2011 Kenji Kakehi

ブッヘンヴァルト強制収容所(Wikipedia) Gedenkstaette Buchenwald Officialsite

ブッヘンヴァルト強制収容所の位置(Google)




内部リンク: アウシュヴィッツ強制収容所

   
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@KZ Buchenwald Gedenkstaette, Deutsheland, Datum: Juni 04, 2011, Camera: SONY F828, OLYMPUS Myu830