土産物屋さんと日本語
筆者は、本来「土産物漁り」はあまり好きではないのだが、いくらか土産物もいるだろうということで、竜頭山公園下にある南浦洞(ナンポドン)を歩いてみた。だいたい韓国で土産といえば、キムチ、高麗人参、紫水晶製品、チマ・チョゴリ(女性の正装)、青磁・白磁の焼き物、値の高いものでは、高麗時代の壺や家具と相場が決まっている。筆者はもちろん一番安い物を探した。一軒の店に入ると、中年女性が日本語で話しかけてきた。安い物では、まんじゅう、せんべい、キムチに特産の海苔があるという。日本では手に入らない「上物」と言うことで、海苔にした。「実は、この店は数日前に開いたばかりなんです。」と女性は言う。「今日は、あなた方が最初のお客です」といって、商品のキーホルダーをプレゼントしてくれた。
「日本語、お上手ですね。どこでお習いになりましたか。」というと、地元の専門学校とのことであった。「私はまだ下手ですけど、主人はもっと上手です。」という。なんでも、日本の福岡の日本語学校に、2年ほど勉強しに行ったのだそうだ。世界のどこの国でも、観光客を相手に仕事をする場合、その言語を習得するのだが、やはり「留学」をするぐらいの意欲がなければモノにはならないのだ。
話は変わるが、オーストラリアの友人ロバートは、中国系マレーシア人である。その彼が、貧困のためマレーシアに見切りをつけ、オーストラリアにやってきた。英語も十分に話せず苦労したらしいが、語学学校をすませたあと、昼は働きながら夜学へ通い、必死で勉強した。英語をマスターしなければ生活できない。その後、意気投合したイタリア人と仕事をおこし、国籍も取り、今では小さな会社の社長でアメリカの会社とも取引をしている。ことばはこのくらい必死になると身につくのだ。豊かな今の日本人に欠けている点である。
話は戻って、筆者より少し年少と思われるその店の女主人とだんなは、第二次大戦後に生まれた「戦争を知らない世代」である。韓国では「反日」感情の強い時代に育ったので、日本語禁止の雰囲気のなかで育ったはずだし、学校教育でも、ことさらに日本の戦争犯罪やその悪質な植民地政策を習ったはずである。その人達が、仕事や生活のためとはいえ、自らお金を使って日本語を習うのである。
一般に60歳以上の老人は「日本語が上手」と言われるが、それは自主的に習った日本語ではない。国を奪われ、名字を奪われ、ことばをそしてプライドを奪われた時代の話である。覚えなければ、学校で日本人の先生から制裁を受けたであろう。むりやり覚えさせられた「日本語」なのである。「自分の意志」で覚えたのではない。しかし現在、政府が日本語で書かれた新聞、週刊誌など禁止していても、対馬のテレビ、NHKのBS放送、日本のラジオが視聴できる。習う気になれば、いくらでもチャンスはあるのだ。
考えてみると、私は韓国へ来て「アニゲセヨ」「カムサハムニダ」「アンニョンハシムニカ」以外のことばは使っていない。「簡単な韓国語」という初歩の会話本を持っているのにである。発声が難しく、ハングルが読めないのもあるが、簡単に言えば「使わなくてすむ」のである。タクシーを含めて、観光地では日本語が通じるし、ホテルなら英語でコトが済む。この結果、韓国に来た日本人は、語学研修生を除き、韓国語を習おうとしないことになる。本当ならどこの国でも、その国で使われていることばを使うのが原則であるが、ここまで通じると、横着心が起きて、努力する意欲がなくなるのである。
アメリカ人は、世界中どこに行っても英語を使おうとし、また実際に英語が「世界語」として使われているので、世界でいちばん?語学が苦手な国民になってしまったと言われている。こう考えると、外国で日本語を使おうとする姿勢は、自分でも反省しなければならないし、だいいちその国民のプライドを傷つけることになる。私たちでも、日本へ来た外国人が、日本語を使ってくれる方がうれしいのだ。次回訪問からはもっと使おうと反省した。