旅の話題
「東ドイツの名車?!」
トラバント
(ハンガリー)
傾国のプリンセス
マリーアントワネット

(オーストリア)
あーん、ママァー!
おいてかないでぇ!

(ポルトガル)
スペイン・セヴィージャの夕焼
(スペイン
「カティン(カチン)の森」
虐殺事件慰霊碑

(ポーランド)
オランダの尻が光る
ブロンズ像

(オランダ)
ANAの特別塗装
「ポケモン機」

(日本)
大航海者
ヴァスコ・ダ・ガマ像

(ポルトガル)
男性の理想の女性・マリア
(ポルトガル)
ローマの警察官
(イタリア)
リガの警察官
(ラトヴィア)

無断転載・無断引用禁止 Recent update: May 8, 2016

                         リガ城警備の警察官はゆるみすぎ

 ここラトヴィアはいわゆる「バルト三国」の一つ 写真のように首都リガのリガ城警備のお巡りさんたちはのんびりムードだ 観光客も少ないうえ、重要人物が出入りするわけでもなく特に緊張する仕事もない というのは以前は「大統領官邸」であったが、ここが火事にあった後は他所に移ってしまっているのである

 長いお喋りをしていたパトカーから下りてきて、いきなり4人とも一斉にたばこの火をつけた お喋りしながら世間話でもしている様子だ 仕事の緊張感もさっぱりない様に見える


 昨今ヨーロッパではあのIS(イスラム国)がテロを各所でやりまくっている ベルギー、フランスはもとより他の西ヨーロッパ国も何時何が起こっても不思議ではない 就中中近東に軍隊を出している国はターゲットである 特に空港、繁華街、議会、王宮、市場、競技場などは狙われやすい場所である そのため海外旅行が好きな日本の中高年もそういう国々は意識的に避けているという

 そういう国では現在全土を上げて「厳重警戒態勢」を敷いている 警察だけでなく公安警察、治安警察や憲兵なども動員して自動小銃、警察犬、装甲車も使用して24時間体制で警備をしている パトカーや軍隊らしい車も町中を走り回る

 その点北欧などはこれまで比較的安全とされてきた 上記の国々とは異なり、まだ連中の「うらみ」はかっていないからである そういうことなので国全体には緊張感もない 入国時も旅行中も町中に「溢れる警察官」の姿は見られない もとからの「平和な姿」である これは旅行者には有り難いことではある

 それにしても勤務時間中に元大統領官邸警備の警官全員が一時にたばこを吸うのはどうだろうか? その間は周りを見ていないし、犯罪に対する警戒心も見られない また公共の場所で禁煙-が多いこの時代に誰からも見える場所での喫煙は如何なものか また健康上の理由からも意識が低いと言わざるを得ない 遅れている

 なお余談ながらこの町のパトカーはほとんど日産車であった
                                 (Smoking policemen @the Riga castle, Riga, Latvia, 2016)      
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町中にあふれるイタリアの警察官
"Carabinieri"policemen all around "Piazza di Spagna"and all over Italy


 イタリア旅行のリピーターならお分かりだが、此処は国中に「警察官」があふれている まず初めてこの国に着いたばかりの日本人観光客はそのことに驚く それも日本のように「**県警」のような一種類ではなく、写真のカラビニエーリ(軍警察、むかしの日本では「憲兵」)だけでなく、市警察や経済警察がありとあらゆる広場・通りなどに駐在・監視している それも大体は3、4人から10人位もいることが多い バイク数台から「軍用トラック」に乗った一個分隊までふつうに待機している

 日本でこういう場合は、「天皇陛下の地方行幸」とか「アメリカ大統領が来日」といった場合が多いが、イタリアでは日常茶飯事である これはいったい何を意味するのだろうか? ご存じのように、「イタリアは世界最大の観光国」であるが、「治安が悪い」事は有名である お疑いなら試しに「検索」されてみたらいい 「騙された・取られた」人たちがたくさんでてくる 観光客は「犯罪を生業にしている人たち」にとっては、良い「収入源」である 高級毛皮を着た老婦人や財布をズボンの後ろポケットに入れた日本人や最近リッチになった中国人は大変良い「ターゲット」である

 私たちもむかし海外で「被害者」になったことがあった その辺はサイト内に詳しく書いてある だからこういうポリスマンを見ると、逆に安心してしまう 彼らの姿は「犯罪者」に対する警告にもなっているからだ 海外の警察官は日本のように「ヤワ」ではない 私たちが住んでいた北アフリカ・アルジェリアの警察官は銀行開店前の行列の並び方が悪いとして、警棒で市民をバンバン殴っていた(私は警官が市民に暴力をふるう-のが良いと言うのではない) また国道検問中の憲兵は道路検問で、道路上にパンクさせる長い鉄製トゲを置いて、実弾入り自動小銃を抱えていた いったん逃げようとでもしたら、直ちに射殺されるのだ これはアルジェリアの旧宗主国「警察国家」フランスの影響である イタリアもこれにかなり近い 
私たちもむかしローマ空港でそれを目のあたりにしたことがあった そういう意味では、現在の日本の警察はかなり「優しい」のだ(戦前の「特高警察」は激しかったが・・)

 この様な警察の「努力」によって、「観光国イタリア」が成り立っている 残念なことだが、ただ「平和は大切」と唱えて警察力を否定する日本的感覚は、世界の潮流から離れている感じさえする 「犯罪者の人権」も大切だが、「被害者」の人権は更に大切である

                                           (Carabinieri @Piazza di Spagna, Roma, Italia)
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男性からみた「理想の女性・マリア」
Maria, Mother of Jesus Christ (Notre-Dame, Madonna)
 
 
写真はポルトガル・コインブラのサンタ・クルス修道院のマリア像である なぜか可愛い スペイン、ポルトガルに限らず、フランス、イタリアあたりのマリア像はおしなべて「きれいで可愛くて魅力的」である もちろんそれぞれ個性はあるが、なぜか見とれてしまう

 キリスト教社会には「マリア信仰」がある 「仏教国」日本で例えると「観音信仰」であろうか
 イスラム教の国に3年住んだことがあるが、この宗教の女性像はよく分からない 何しろ「偶像崇拝禁止」のうえ、アラーは絶対的強権的男性的な神で、マリアのような優しい母性的女性像は見かけなかった

 キリスト教国の文化や生活を理解するには、キリスト教についての知識が必要だ キリストの生誕からすでに二千年以上が経過し、教会や街角には多くのキリスト像やマリア像が据え付けられた ただ中世の聖堂や絵画のマリアとキリストはそれほど魅力的ではない マリアは決して美人ではなく、幼子キリストも顔が大きく大人びている

 それが「人間的風貌容貌」になったのは、あの「ルネッサンス」以後である その代表がラファエロの「聖母子像」である この作品は数が多いが、どれもふくよかで慈愛に満ちた眼差しの母マリアが可愛いキリストを抱く それを見ると、「あの中世の聖母子は何なんだろう?」と思う ラファエロ同時代のダ・ヴィンチの「受胎告知」のマリアも素敵なマリアである

 以後絵画ではどの画家もマリアを描くが、その時代を代表する風貌でチャーミングである ギリシャ出身の通称エル・グレコのマリアもおそらく画家が好きだった女性か理想の女性がモデルに違いない 他の画家もそれぞれが自分の好きなタイプの女性を描いたのだろう

 しかしわたしが最も好きなマリアはスペインの画家・ムリッリョの描くマリアである この絵はマドリッドのプラド美術館にある 題は「無原罪のお宿り」 こんなに無垢で可愛くて爽やかな少女・マリアは他にあまりないだろう こうなると、「二千年以上前の中東の田舎ベスレヘムの馬小屋に居た大工の妻」の雰囲気ではない

 やはり「マリア」は時代と共に変遷し、人々(特に男性)の心に住み続ける「理想の女性」としかいいようがない だからこそ信仰が生まれ、永遠の生命を持ち続ける 因みにスペイン、ポルトガル辺では女性の名前でマリアは大変多いという 私もイベリアの街角に立って、「マリア!!」と呼んで何人が振り向くのか確かめたかったが、流石に勇気がなかった

ムリッリョ:「無原罪のお宿り」

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傾国のプリンセス・マリーアントワネット
Marie Antoinette von Habsburg-Lothringen
 
 
ウィーン最大で、ヨーロッパ有数の美術館である「美術史博物館」はハプスブルグ家最盛期の女帝、マリア・テレジア(テレサ)が集めた美術品を核に構成されている その内容は「流石ハプスブルグ!」というほどの質と量である 筆者も三度ほど訪れたが、すべてを見切ることは出来なかった 特にドイツ系とスペイン系の画家の蒐集が充実しているようだ 

 また彫刻、石像等もかなりあるが、そういう中に「お姫様・アントワネット」の胸像もあった 日本人には「ベルサイユのバラ」で良く知られる 母はもちろん大女帝のマリア・テレジア、兄は神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世、これ以上はないような名門の姫である 有名な話だが、幼いモーツァルトがシェーンブルン宮殿で幼い彼女に「結婚して!」といったとか・・ 

 ハプスブルグの当時の敵、プロイセン(プロシア)との関係から、政略結婚によりフランス・ブルボン家のルイ16世と結婚した のちフランス革命により、ギロチン(断頭台)の露と消えた「悲劇のヒロイン」でもある フランス革命の発端となった言葉「民衆はパンも食べられないなら、お菓子を食べたらいいんじゃない」はどうもフィクションらしい 他人の言った言葉の責任まで取らされたようだ 人民の「憎悪の対象」となってしまったことが、こういうエピソードになってしまったのだ

 上写真はそういう人生の彼女の胸像である これを見る人の歴史に対する造詣の深さで、その評価も異なってくるだろう いずれにしても、「時代の犠牲者」であり、「名家に生まれたが故の運命」、「歴史や民衆に対する無知」によるものだったのかもしれない

注:この写真は20数年前の光学フィルムをスキャナーで読み込んだため鮮度が落ちています

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あーん、ママァー!おいてかないでぇ!
Mom !, don't leave me !

ここはポルトガルの港町ポルトの波止場です 私が写真を撮っていると、向こうから若い母親と娘がやって来ました
はじめは何てことなかったのですが、しだいに娘が何か不満そうに言い始めました 母は二言三言言い残すと
足早に向こうにスタスタと行ってしまいました 取り残された幼女はその場に立ちすくんで呼び続けていました
でも飛んでいるカモメの声の方が大きかったのです その子の顔がどうだか想像できますか?
その後がどうなったかは知りません 今回はツアーでしたから・・・

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スペイン・セヴィージャの夕焼け
Sunset in the suburbs of Sevilla, Espana

 スペイン旅行の途中、夕方になって南部のセヴィーリャに向かっていました この日は夜遅くに「フラメンコ」ショーを見る予定になっていました このツアーは大変ハードで、前日のバス移動は691km、この日もすでに360kmくらい走っていました バスの移動は疲れますが、ふと窓の外を見ると真っ赤な夕焼けでした しかもまだ太陽は沈んではいません およそ15分くらいこの空のショーに見とれていました セヴィーリアは太陽もフラメンコの踊り子も熱いのでしょうか?   (スペイン・セヴィーリャ郊外 Nov., 2007)  


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「自動車の化石」・・「旧東ドイツの名車」トラバント
Trabant: "ex. East Germany's fossil"

 この写真は数年前、ハンガリーを旅した時、ブダの王宮城壁脇に駐車していた「旧東ドイツの名車・トラバント」を撮った物である この車は「東西冷戦時代」の社会主義圏の工業力を象徴していた車であった <「2サイクルエンジン」で煙を吐きながら走る非力の「段ボール製」の自動車>と言われていた 詳しくは「Wikipedia」にあるので、引用しよう

 「
ボール紙のボディの車」といわれることがあるが、実際は長いモデルライフを通じて、ボディの基本材料は繊維強化プラスチック(FRP)である。東ドイツ末期に製造品質が下がってくると表面の質感がボール紙のように見えた事から、低い仕上げ品質を揶揄した表現である。ただし、末期は製造コスト低減のため、実際にプラスチックに紙パルプを混ぜ込んでいた。ベルリンの壁崩壊の直後からは、最新式のフォルクスワーゲン・ゴルフと古色蒼然としたトラバントが、肩を並べて走るようになり、双方のドライバーとそれらを見比べた者に強烈なカルチャーショックを与えた。東側諸国の人々がトラバントに乗って国境検問所を続々と越える光景は、東欧における共産主義体制終焉の一つの象徴的シーンともなった。生産中止後10年以上を経過し、走行性能・安全性・環境性能が数十年前の水準ということもあって、旧東ドイツ地域および周辺諸国においては、急激に淘汰されている。(以上引用)

 ポーランド、チェコ、ハンガリーなど「旧東欧圏」を旅すると、減りつつはあるが必ず目にする車である 日本やヨーロッパなど「自動車先進国」では決して「受け入れられない(売れない)車」である 「国家独占企業で競争のない社会」でしか生産され得なかった「工業製品」である

 日本の車は「世界先進レヴェル」として、世界中で受け入れられているのは衆知の事実であるが、それというのも「過当ともいえる価格と品質競争」に打ち勝って現在の地位を得てきたのである こうして見れば、「トラバント」は「競争のない社会が如何に社会の進歩を停滞させる」かを証明して見せたのだ

 翻って、「すべて平等が美徳、競争は罪悪」という戦後の教育が近年の日本の教育レベル低下に「貢献」してきたことが明白に分かるのである すべての子どもの「それぞれの良いところを見つけ、能力を最大限に伸ばさなかった」ツケはまことに大きいと言わざるを得ない


外部リンク:(Wikipedia):「トラバント」(Wikipedia)

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大航海者 ヴァスコ・ダ・ガマ像
Statue of great voyager, Vasco da Gama, Portugal

 ポルトガル、エヴォラの公園にあるヴァスコ・ダ・ガマの(のちインド総督)像である このような像はこの国各地に置かれているが、有名な物は彼の生地Sinesのものである

 「ガマ」といえば、日本人で日本の中・高を出た者なら知らない者はいない−というくらい有名である それは社会科の教科書に必ず登場し、入試にもよく出た人名(航海者・探検家)だからである 受験生はこの「両生類」のような名を、コロンブス、マゼランの名とともに必死で覚えたのである
 
 さて、彼は国王マヌエル1世の命を受けて1497年アフリカ南端「喜望峰」に到達
、さらにそこを越えてインドに到達、いわゆる「インド航路」を開いた人物である これが「ポルトガル海上帝国」の基礎を拓いたのである 以来ポルトガルは東洋貿易やブラジルで胡椒(香料)、金銀他等によって莫大な収入を得る様になったのである

 これらのことは逆の立場=アジア、アフリカ、南米の人々から見ると、「不幸な歴史」であった つまり同時期に世界に「進出」した隣国スペインと同様に、それらの地帯に災いをもたらした これら二国の貿易はいわば「略奪貿易」とも言える形態をとり、現代のような「対等な貿易」ではなかった 従って、それらの国々は後代に独立するまで、簒奪・略奪に悩まされつづけた 

 またそういう船に乗船していた宣教師によって、キリスト教を「無理やり与えられた」地域もあった 映画「ミッション」ではそういうことが垣間見られた ただし日本のような国では、キリスト教は戦国の世にあって「新しい思想」として一部の人たちに歓迎されたし、大名達の中にも、宣教師の知識・情報、世界の動きの収集・伝達を歓迎する向きもあったのも事実である

 さて話しを「ガマ」に戻そう 以上述べてきた様に、彼はこの国の「大恩人」であり、現在もリスボンのジェロニモス修道院(世界遺産)に手厚く葬られている またその功績によって、彼の名はリスボンの大橋、各地の通りなどに多く命名されている

すでに1488年にヘンリー航海王子のキャンペーンの一環で、バルトロミュー・ディアスが「喜望峰」を回っている

外部リンク:ヴァスコ・ダ・ガマ(Wikipedia)

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「カティン(カチン)の森」虐殺事件慰霊碑
(世界遺産のワルシャワ旧市街地区にある旧王宮脇にある小さな碑)
A small memorial of "Zbrodnia katynska,"Warsaw, Poland (Polska)


 
ポーランドの歴史を少しでも囓った方はご存じであろうが、ロシアとドイツという二大国に挟まれた小国ポーランド()は歴史の中で幾度も侵略・分割をされ蹂躙されてきた 現代に至っても、1939年あのナチス・ドイツがいきなりこの国に侵入し、第二次世界大戦が始まったのは有名な話である このあとポーランドは全土が制圧され長い間辛い時代が続くのである

 国内にはユダヤ人収容のため、まず都市部に「ゲットー」が作られ、「アウシュヴィッツ=ビルケナウ」収容所他の収容所に、ユダヤ人だけでなくポーランド人、社会主義者、反体制運動家、ロマ(通称ジプシー)たちが送られていった

 さてドイツと同時に「ソ連」からも侵略されたポーランドは、軍が「ソ連」にも降伏し捕虜はソ連領スモレンスク近くのカティンの森で虐殺された 1943年DKW(ドイツ国防軍)はこの地で4000人以上のポーランド軍将校、警察官、公務員、元地主の遺体が埋められているのを発見し、「ソ連と赤軍が実行した」と主張した しかし当時ソ連側は「ナチスに殺された」と反論していた

 現在の調査では、スターリンが虐殺を命令し、内務長官ベリヤが命令書に署名し実行されたことが判明している このような「カティンの虐殺」を悼む追悼碑がポーランドの各地に建てられ、戦後六十数年たった今でも献花が絶えない このような碑の類は隣国チェコにも散見される 第二次大戦の傷跡は「アウシュヴィッツ」だけではない 「極東」の日本人が知っていることはごく僅かである

詳しくは・・
カティンの森虐殺事件(Wikipedia) ポーランドからの報告カティンの森事件



注:「小国ポーランド」と書いたが、その前数百年は「大国」であった ポーランド王国は東ヨ−ロッパを席巻し、旧ロシア領の一部まで支配していた そのことは往年のハリウッド映画「隊長ブーリバ」(ユル・ブリンナー、トニー・カーティス、クリスティーナ・カウフマン出演)に扱われていた (原作は「タラス・ブールバ) この映画では「大国ポーランド」がロシアを侵略し、コサック族が抵抗する−というストーリーになっていた 歴史を見ると「いつもポーランドが弱者で小国」というわけではないことが分かる

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尻が光るブロンズ像
A memorial of the land-reclamation in Holland (Nederland)A

堤防締め切り記念のブロンズ像・・この場所で最後の堤防が締め切られ、巨大な湖が出現した

 上の写真を一目見て場所がすぐに分かる人は、相当な「旅リピーター」か近隣住民だけであろう。雰囲気から日本ではない感じである。ここはふつう「観光コース」には入らないオランダのアイセル湖(人造湖)締め切り堤防の上、最後の閉鎖部分である それを記念してこのような像が置かれている。

 「オランダは国土の何分の一が海より低い土地 国が狭いので湾を締め切り海を埋め立てた 水が入ってくるので、くみ出すために風車を使った 日本の児島湖、有明海、八郎潟などの干拓の手本になった(オランダの指導を受けた)・・・・」などと学校の社会科で習った方も多い。

 この国の本当の名前は「ネーデルランド」で「オランダ」ではない。直訳すると、「低い土地の国」。ドイツ語の「ニーダーラント」もフランス語の「ペイバ」もそれを訳した表現である。しかし「オランダ」ではない。英語表現では「Holland」というのがでてくるが、これも日本語同様「ホラント州」から来ているらしい。ホラント州は当時「海軍」も保有し、経済的にも大変な力を持っていた。

 さて話は戻って「締め切り堤防」のはなし。ゾイデル海を堤防で仕切ってアイセル湖という広大な淡水湖を作り、その内部に干拓地(ポルダー)を作っていった。これらの広さは日本の干拓地など足元にも及ばない。まさに「神は何日もかけて地球を作られたが、オランダだけはオランダ人が何百年もかけて作った」という感じである。車でこの国を回ると、そういうのがよく分かる。

 堤防の長さは約30km弱もある。写真を見ればお分かりだろうが、幅も数十mもあって片側2〜3車線の自動車道に加えて、歩道部、護岸部と十分なスペースを取ってしっかり作っている。もしこれが破れると、海水が一気に各都市や田園地帯を襲うからだ。そのしっかり作った堤防のちょうど中間部に、このパーキングスペース、展望台、レストランなどが置かれている。また駐車場わきには、干拓の歴史が写真も入れて年代ごとにしっかりスタンド展示してある。それを見るだけで大変な工事だったことがよくわかる。きっと、オランダの小、中学校の教科書にはくわしく説明され、遠足では一度はここを見せるに違いない。

 さて上の写真である。写真右がアイセル湖、左外が北海に続くヴァッデン海で、像は海側に尻を向けて石を手にしている。干拓作業の象徴であろうが、よく見るとひとが手で触った部分がピカピカになっている。それは背中、肩と尻(臀部)である。位置的に言ってまあ背中、肩は分かるのだが、なぜ尻が光っているのだろうか?尻が光るのはホタルだけではないのである。かといって「変な人」がどっと来てわざわざ尻だけに触った訳ではないだろうし、不思議なことだ。だが外国人は別にして、オランダ人はみなある一定の感慨を持って これを触ったに違いない。この尻はオランダ人の愛情によって光っているのかも知れない。

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ANAの特別塗装機
A special painted ANA airplane

新千歳空港のANA「ポケモン」機(Jan.2006)

 人は誰も、旅の間空港内で時間が足りず、あわてて移動することがある。そういう時は景色も何も見てはいない。しかし私の場合多くは時間を持て余すことが多い。元来が小心で、「乗り遅れたら・・」という強迫観念が常にある。だから早めに空港に行く。必然的に時間が余ってしまう。そうなると「空港探検」をするか、「人間観察」をするか、「飛行機観察」をすることになる。私には他人様がよくする「読書」は全く性に合わない。最近では「ゴールドカード」保持者が利用できる「ラウンジ」利用を覚えてしまった。そこではアルコール以外の飲み物類は無料である。私は「無料」とか「半額」とか言うことばが好きである。

 しかし私の「旅心」をもっともかき立ててくれるのは、飛行機観察である。会社名、飛行機名を確認し、その他のこと例えばケ−タリング会社名や給油作業や雪落とし作業などを見ている。しかし楽しいのは、写真のような特別塗装機を見ることである。このような機体が日本の空に現れてすでに久しい。同じ全日空の「マリンジャンボ」が魁であったであろうか。日航も対抗して同様機を披露した。これらは特に子どもたちに絶大な人気があるらしい。就中アニメ・キャラクターは大人気である。この石油高で「ベタベタ塗装」は燃費が若干悪くなるかもしれないが、見る方は心が和む。顔も自然と緩んでくる。そういう意味では全日空は「商売」が上手い。子どもたちは「将来のお客様」なのだ。

特別塗装機・・・時間をかけて機体写真や絵を挿入している楽しいサイト(Rainbow Island)


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