2 膨大なコレクション・國立故宮博物院 (第二日目)
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今回の旅で台湾に決めたのも、実は「他に行く所がなかった」からではない。わたしの趣味の一つに美術館・博物館巡りがある。東洋の博物館でトップレヴェルのものが、この故宮博物院である。東洋一とも言えるだろう。世界の四大博物館の一つであるという。四大とは、ロンドン・大英博物館、ニューヨーク・メトロポリタン博物館、パリ・ルーブル博物館、そしてここらしい。わたしはすでに前三者は訪問しているので、四大ではここを残すのみとなっていたのだ。
実はおなじ名前の博物館が北京にもある。歴史に詳しい方なら理由はご存知だろう。孫文の「辛亥革命」で清が倒れてから、中華民国が清の財宝を継承して北京の「故宮」に展示した。1937年に「日中戦争」が始まり、日本が侵略してくると、これら財宝を北京から上海、南京、更に奥地へと疎開した。戦争が済むと、今度は国民党と共産党の内戦が始まり、財宝は負けた国民党とともに台湾へ逃れた。それがここのコレクションである。
わたしは以前、北京の「故宮」に行ったとき、建物そのものは、映画「ラスト・エンペラー」で見られるように、広大かつ豪華なものであったが、その内部の博物館部門展示のあまりにもお粗末なのに驚くとともに失望した。残りほとんどが台湾にあると聞いて、なにか納得できないようなすっきりしない気分だった。「故宮」と言うからには、本来は北京にあるべきものなのである。ここに「二つの中国」の現実が見えてくる。台北と北京の所蔵品を合わせて、本来の「故宮博物館」となるはずなのである。人類はすばらしい文明、文化も生み出すが、またこのような愚かなこともする。
さて、話はホテルから博物館へ行く道である。私たちはMRTという地下鉄兼高架電車で、台北(車站)駅から淡水線に乗り士林駅で降り、駅前で304番バスに乗った。博物館行きなので、終点で降りるとそこは正門前、山の中腹に大きな建物がどんと存在を自己主張していた。なるほど北京の故宮に対抗している雰囲気だ。長い階段を上がってゆくと、玄関前には観光バスやツアーバスもいっぱいだ。さすが世界に誇る博物館である。
中の感想はひと言では書けない。「8年通わないと全部は見られない」といわれるほど収蔵量が多く、また豪華で歴史的価値も高いものが多い。陳列品だけでもただただ圧倒される。満州事変以後、日本軍の略奪をおそれて、梱包して大きな大陸内を移動し保存し、ここまで運んだものだ。その途中に紛失、散逸した物もあるだろう。第二次大戦中、文化国家フランスも例に漏れず、大切に梱包して隠したりしたが、ヒトラーが絵が好きだったこともあり、(彼はもともと画学生でウィーンにいた。)ドイツ軍に略奪されたり、戦闘や爆撃で消失した物も多いと聞く。戦争は大切な人の命を奪うだけでなく、人類の宝も奪うのである。 |
詳しいことはここをクリック→ 故宮博物院公式サイト(日文、中文、English) |
故宮博物院 Tourism Bureau, Rep. of China.より転載 |
中国文化の精髄にふれたければ故宮に行ってみるといい。1965年に落成した故宮博物院は北京にある紫禁城を参考にして建てられた。堂々たる外観を呈し、正院は平面的にみれば梅の花になるように四階建ての建物五棟から造られている。院内には寄り抜かれた歴代文物が収蔵されており、書画、銅器、磁器、玉細工、漆器、彫刻、図案、文献など、古美術品の収蔵点数は70万点に達する。北京の故宮博物院と南京の中央博物院の収蔵点数の総和を上回り、世界最大規模を誇っている。所蔵数の豊かさは米国、イギリス、フランスの美術館と並んで世界4大博物館に数えられ、中国芸術文化の研究保存の要所となっている。
院内には、中国語、英語、フランス語、ドイツ語、日本語、スペイン語、韓国語など7カ国語で書かれた案内ガイドが準備されている。また、これら文物研究に関する勉強会やセミナー、巡回展示活動なども定期的に開かれ、特集などを組んだ出版物は130種類以上に達する。
故宮の向い側には至善園という中国の古典庭園芸術を再現した公園が設けられている。そこは蘭亭、曲水流觴、籠鵝、松風閣、水?、碧橋西、洗筆池、招鶴聴鴬などと呼ばれる八つの景勝地から造られ、中国ならではの雅な庭園の美がいたるところにあふれている
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展示品の一部(筆者写)
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商(殷)代の鼎 |
商(殷)代占亀甲 |
頭蓋骨製ラマ教仏具 |
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象牙くりぬき九層塔と多層球(名品) |
清代・翠玉白菜(名品) |
最古の展示・7000年前の物 |
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何時間もやや駆け足気味で館内を回ったが、まだまだ展示はあった。しかし最近「大リニューアル」が始まっており、右翼の展示室の一部はすでに入館できなかった。いままでに行った大英とかルーブルとかの展示とは内容が異なるにしても、終わりになるにつれて同様の疲労が感じられた。それにしても日本人の団体ツアーが多い。ガイドはだいたい台湾人で、結構流暢な日本語で、ジョークも交えながら分かりやすく説明している。わたしたち個人ツアーはこれがないから、後ろでさりげなく聞くしかない。
さて、バスで士林駅まで帰ってきたが、夕方で空腹になっていて「食べて帰ろう」ということになり、歩き回っているうちに超庶民的な商店街に入った。不思議なことに、商店の前の歩道や路上にさらに食べ物屋台あり、ずっと見渡すほど並んでいて、そこでは料理の仕込みをやっている。鳥のあぶり焼きや焼いた豚の頭、なんだか分からない動物の腸詰めや魚の揚げたのが、ぶら下げられたり皿に山盛りされていた。店のオバサン連中は、大きな声でお喋りしながら、しゃがんで手をさかんに動かしていた。あちこちから様々な匂いが風に乗ってやってくる。ここが観光書にも載っている「士林市場(夜市)」であった。歩いていたら、下写真のような小さなお宮があった。前を通り過ぎる学生若者もかならず足を停め、お宮に向かって手を合わせ3回ふってから去ってゆく。ここの若者たちにはまだ「信仰心」が残っている。
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士林夜市は台北市で最大規模を誇るナイトマーケットの一つで、陽明戯院(映画館)、慈誠宮を中心に、文林路、大東路、大南路などにぎやかな通りから成り立っており、なかでも、士林市場は1910年に建てられた古い歴史を有するマーケットだ。各種の台湾小吃(B級グルメ)は内外にその名を馳せており、B級グルメを求めてここを訪ねる観光客は後を絶たない。「大餅包小餅(春巻のようなもの)」、「石頭火鍋」、士林名物、ジャンボソーセージなどはグルメのランドマークにもなっている。
ナイトマーケットの近くには、学校が多く立ち並んでいるため、主要な客層は学生で、価格も一般のお店に比べ割安になっているのが特徴。家具店、ブティック、DPEショップ、ペットショップなどが軒を連ねているエリアもある。『情人巷』(恋人通り)と呼ばれる通りに立ち並ぶ小物ショップやかき氷店に、遠くからわざわざ足を運んでくる人も少なくない。
士林夜市を歩くのはけっこう骨の折れる作業だが、路地を探索していくうちに隠れた穴場を見つけることもまれではない。週末ともなれば、人込みでごった返し、家族総出で手に大小の荷物を持ち、B級グルメを口にしながら、満足げな表情で帰っていく光景があちこちで見られる。
Tourism Bureau, Rep. of Chinaより引用 |
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私たちは一軒の麺をあつかう店に入って、肉うどんを注文した。その後向かいの餃子屋で、大きな焼き餃子を追加で食べた。このあたりの店は、家族総出で餃子を作っている。手つきが鮮やかだ。餃子は蒸籠に入れられ、山のように積まれている。見ていて飽きない一種の「実演販売」だ。この日は週末でもなかったが、腕を組んだカップルや家族連れがわんさわんさとあとからやってくる。そうでなくても高温多湿の台北だが、人いきれでますますすごいことになった。食べるたび、歩くたびに汗がしたたり落ちる。面白いのは、大きなオーストラリア肉を大鍋で揚げている屋台があったことだ。揚げたてを紙にくるんで、歩きながら囓っている。その前では若者たちの行列が続いていた。まだ宵の口ではあったが、大変活気のある夜市であった。 |
このあと、士林駅からMRTで台北駅に戻った。その時私たちは話しをしながら地下道を歩いていたので、サインに気づかず、誰も行かない方へ歩いていた。その時、後ろから一人の若者が追いかけてきて、英語で「そちらには電車はない」といった。こちらだと方向を示した。私たちはお礼を言って、彼と同じ方向へ向かった。彼の方を見ると、目が合った。にっこり微笑んだ。こちらも軽く会釈をした。すがすがしかった。今日の朝はこんなことがあった。まだ自動販売機でのキップ購入に慣れていなくて、立ち往生していたら、老人が日本語で「どうかしましたか?」と声をかけてきた。説明すると、「ああこうしたらいいですよ」と自分から硬貨を入れて手伝ってくれた。「それから何番へ行ったらいいですよ」といって去っていった。誰が頼んだわけでもないのに、自分からニコニコして手伝ってくれた。なんか一日で台湾の人が好きになった。妻も同感だと言った。 |