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Europe 
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百年戦争の最中、「オルレアンの少女」ジャンヌ・ダルクが一時的に住んだ家
(フランス・オルレアン)

イタリア人コロンボ(日本名コロンブス・スペイン名コロン)が
新大陸に向かって船出した港に「
サンタ・マリア号」復元船がある
(スペイン・バルセロナ)
ギリシャ出身でスペインに住んだ画家・通称エル・グレコの家
「エル・グレコ」とは本名でなく、「ギリシャ人」という意味である
(スペイン・トレド)
作曲家・ベートーヴェンの墓
ウィーン市内の他の場所にあったが中央墓地に移転した
(オーストリア・ウィーン)
ルター、カルヴァンなどの改革者像があるジュネーヴ大学構内の
宗教改革
記念碑 ルターやカルヴィンらがいる
(スイス・ジュネーヴ)
フランス革命の思想家・J・J・ルソーの像
レマン湖傍の小島に像は置かれている
(スイス・ジュネーヴ)


作曲家・ヨハネス・ブラームスの生家 第二次大戦で破壊され再建された
(ドイツ・ハンブルグ)

ルイ14世造営のヴェルサイユ宮殿の「鏡の間
ここで
第一次世界大戦ヴェルサイユ講和条約が結ばれた
(フランス・パリ)



ドイツの童話「ブレーメンの音楽隊」の像があるハンザ都市ブレーメン
世界遺産・マルクト広場の像、子どもたちに人気がある
(ドイツ・ブレーメン)
第二次世界大戦直後から始まった「東西冷戦」、その最前線が町中を二つに
分断されたベルリンであった その象徴である
ブランデンブルグ門 今は手前の
ベルリンの壁」と門上の「東ドイツ国旗」はない (ドイツ・当時の「西」ベルリン)


アヴィニョンの幽囚(捕囚)」で知られる南仏のアヴィニョン 14cに
カトリック教皇(法王)座がローマから当地に70年ほど移転していた
「アヴィニョンの橋の上で」の歌で知られる橋は半分しかない
(フランス・アヴィニョン)
パリ南方にある画家ミレーが「晩鐘」「落ち穂拾い」を描いたバルビゾン村
この「ガンヌ亭」は多くの
バルビゾン派の画家たちが集まった場所である
(フランス・フォンテーヌブロー森・バルビゾン村)
ウィーンのリンクの中心にあるのがシュテファン大聖堂 町の
ランドマークで、
モーツアルトの結婚式と葬式が執り行われた
(オーストリア・ウィーン)
左の大聖堂すぐ近くにあるモーツァルトのアパルトマンは「フィガロハウス」と呼ばれ、
現在は「博物館」として公開されている ここで「
フィガロの結婚」を作曲した
(オーストリア・ウィーン)





1290年創立の名門ケンブリッジ大学 ノーヴェル賞受賞者81人(2005/10)
ニュートン、ダーウィン、ケインズなど学者、著名人を多数輩出した
(イギリス・ケンブリッジ)
「世界最高の博物館」といわれる大英博物館にはその「輝かしい国の歴史」から多くの
収蔵物がある 
ナポレオンエジプト遠征で「発見」したロゼッタ・ストーン
(イギリス・ロンドン)
第二次大戦終了までにナチ(SS)によってヨーロッパ占領国内に作られた
強制収容所では
ユダヤ人だけでなく、社会主義者、反ナチ主義者、パルチザン
など「ナチの敵」と思われる人々が虐殺された ここ
アウシュヴィッツ収容所
その代表的存在であり、現在は
「負の」世界遺産に指定されている
(ポーランド・オシフィエンチム)
宗教改革者ヤン・フスはボヘミヤ出身であるが、1411年にカトリックから破門され
コンスタンツ宗教会議で有罪、杭にかけられて焼き殺された チェコ文字の普及にも
つとめた国民の英雄であり、プラハの旧市街広場にこの像がある
(チェコ・プラハ)


プラハの旧市街は世界遺産になっているが、その中心部にはヴルタヴァ川
(モルダウ)が流れる そこにかかる大橋がカレル橋で欄干には聖人の像が並ぶ
その一つがこれ、
フランシスコ・ザビエルである その下には東洋人らしい像もある
(チェコ・プラハ)
この建物・ベルトラムカは貴族の別荘だが、音楽家でもあったオーナー夫婦は
親交のあった
モーツァルトを滞在させ、ドン・ジョヴァンニ」の完成をサポートした
モーツァルトは近くのエステート劇場で初演し、好評を得た 彼は自分を愛して
くれるプラハがウィーン以上に好きであったという 今は建物は博物館となっている
(チェコ・プラハ)
科学アカデミー前のコペルニクス像 彼はキュリー夫人と並ぶこの国の有名人
すぐ近くに
ショパンの心臓を埋め込んだ教会もあり、その向こうにショパンが
在籍したワルシャワ大学や旧居、オルガンを弾いた教会がある
(ポーランド・ワルシャワ)
ワルシャワ・ゲットー」跡の記念碑 ナチはこの町を占領後、ユダヤ人
たちをある町の狭い一画に押し込め、
ゲットーとした これらはこの国
出身のポランスキー監督の「戦場のピアニスト」に詳しく描かれている
(ポーランド・ワルシャワ)


この国が生んだ「ピアノの詩人」ショパンの心臓がある聖十字教会
心臓は内部の柱に埋め込まれる ナチ占領後に持ち去られたが、
戦後戻された なおショパンの体は
パリのペール・ラシェーズ墓地にある
(ポーランド・ワルシャワ)
映画「シンドラーのリスト」のモデルになったと思われる工場 シンドラーはユダヤ人を
助けたドイツ人で、リトアニア領事代理
・杉原千畝とならび「ユダヤの恩人」といわれる
近くにやはり映画のモデルと思しきゲットーの跡地がある
(ポーランド・クラクフ)
ワルシャワ蜂起記念碑」・・映画「戦場のピアニスト」の後半にも登場する蜂起
1944年ソ連軍はドイツ軍を追ってポーランドに侵入した これに呼応した
ポーランド国内軍と
パルチザンはドイツ軍を攻撃した しかしドイツの反撃は
激しく町は徹底的に破壊された このためこの蜂起は成功せず、18〜25万人の
市民が殺されたと言われる (ポーランド・ワルシャワ)
東西冷戦」時の最前線の「ベルリンの壁」を越えて「西ベルリン」から「東ベルリン」
に「入る」たった一つの入り口
、通称「チェックポイント・チャーリー(C検問所)
米・英・仏「
連合国」の管理であった 赤い車の向こうが「東側」でサーチライトと
機関銃がこちらを向いていた 現在は左の建物は残り、「壁」はポツダム広場と
川沿いの1km余を除いてすべて撤去された (ドイツ・当時の「西」ベルリン)
中世後期に北ドイツからバルト海沿岸の諸都市は、ハンザ同盟を結んで貿易を
独占した このリューベックはハンブルグ、ブレーメンとともに「
自由ハンザ都市
として都市の自治も行った 15cからの
「新大陸発見」と「大航海時代」により、
ハンザの時代は終わりを告げた このホルステン門は町の表門でシンボルである
 (ドイツ・リューベック)
戦勝記念塔」 北ドイツにあったプロイセン(プロシア)王国の首都であった
この町に、1873年にフランスに勝利したことの記念に作られた(
普仏戦争
当時の指導者は
「鉄血宰相」ビスマルク、フランス側はナポレオン3世
(ドイツ・ベルリン)
マリエンベルク要塞は町を見下ろすマイン川対岸の丘にあるが、13〜18世紀に
大司教の住居、要塞となっていた 
農民戦争など多くの歴史を見てきた場所で
現在はドイツの有名な彫刻家
リーメン・シュナイダーの作品の博物館がある
 (ドイツ・ビュルツブルク)
1620年迫害を受けていたイギリスの清教徒はこの港から新天地アメリカに向けて
出港した その船「
メイフラワー号」は180tの小船であった この102人がヨーロッパ
からの最初の永久
移民であった その出港した波止場にはこの様な石刻がある
(イギリス・プリマス)


エリザベス一世時代の英の大文豪シェークスピアの妻アン・ハサウェイの家
二人はウィリアムが18歳、アンが26歳の時に結婚したが、アンはすでに「妊娠三ヶ月」
だったという (イギリス・
ストラトフォード・アポン・エイヴォン
環状列石」の先史時代遺跡・ストーンヘンジ 現在世界遺産に指定されている
その役割については昔から諸説あり未だに結論は出ていないが、天体の動きと
深い関わりがあるのは明らかである (イギリス・
ソールズベリー郊外
ピサ大聖堂と鐘楼(通称:ピサの斜塔) 鐘楼は1173年着工、地上55mの
世界遺産で、イタリアでもっとも観光者から愛されている歴史的建造物である
ギネス認定で、世界で二番目に傾いている建物である (イタリア・
ピサ
ルイ14世時代にさかのぼる「音楽アカデミー」の公演する場が歴代の劇場であった
この通称「オペラ座」はその13代目で、正式には「ガルニエ宮」と呼ばれ、パレー、
オペラ、演奏会が行われる 天井には
シャガールの絵がある
(フランス・パリ9区・オペラ広場)


アルカサールは英語で"the castle"で、城である レコンキスタ国土回復運動)の
中心的存在となった
カスティリャ王国の居城であった 決して大きくはないが、
ディズニーのアニメ「白雪姫」のモデルになった美しい城である
大聖堂、ローマ水道橋とともに世界遺産に指定される (スペイン・セゴヴィア)
ローマ帝国水道橋は各地に作られたが、現存する物としては世界最大級の
728mが残る これに並ぶものは南仏の「
ポン・デュ・ガール」がある 世界最大は
カルタゴにあった「ハドリアヌス水道」で141kmあった 世界遺産に指定される
 (スペイン・セゴヴィア)
ハプスブルグ家の離宮・シェーンブルン宮殿より庭園とグロリエッテを望む
この宮殿で
ヨーゼフ二世と妹アントワネットモーツァルトと出会ったという
(オーストリア・ウィーン)
ルーブル博物館にある「ナポレオン一世」の王冠 彼が作らせたたった
一つの王冠である 
ダヴィッドの描く大作「ナポレオンの戴冠式」にも登場する
(フランス・パリ)
世界遺産・ブダの丘地域のマーチャーシュ教会
歴代の
ハンガリー国王が戴冠した由緒ある教会だが、オスマン・トルコに占領
され、モスクにされた時期もあった 王宮の近くにあって、ここからは町とドナウ川
が一望できる この教会では
ハプスブルグ家フランツ・ヨーゼフ皇帝
「悲劇の皇后」
エリザベートが戴冠式を行った (ハンガリー・ブダペスト)
世界遺産・アンドラーシ通り「英雄広場」のマジャール族長と部族長像
元来アジアの遊牧民であったハンガリー人が、族長
アールバードに率いられてハンガ
リー平原に移住した ヨーロッパで暴れたが、
神聖ローマ皇帝オットーに破れてから
キリスト教化し、定住するようになった そういう意味でアールバードはハンガリー
建国の祖であり、ハンガリー人のアイデンティティーである(ハンガリー・ブダペスト)
世界遺産・ポンペイ遺跡(ローマ時代)
ローマ帝国時代、ナポリ近郊にある商業都市が79年のヴェスヴィオ火山の噴火
ほぼ壊滅した 現在見られる遺跡は長年の発掘復元により再び地上に現れたもの
発掘はつづいているが、埋没し後世に改変されなかった貴族の屋敷・店舗・家屋には
当時の生活の様子が偲ばれる道具や什器、壁画などが見られ大変わかりやすい
(イタリア・ポンペイ)
世界遺産・アマルフィのフラヴィオ・ジョイア像
地中海岸の町アマルフィ
は4c前半にローマ皇帝コンスタンティヌスによって作られた
という のち近くの
ナポリとともに地中海交易の拠点となり後に艦隊も保有し繁栄した
「羅針盤発明者」といわれるこの伝説人のおかげで海上交通は発展したと言われるが、
実在かどうかも含めて詳細は不明である (イタリア・アマルフィ)
世界遺産・ヴァティカン(カトリック総本山)
聖ペテロが処刑されたとされる場所に作られた「世界最小の国」である
単なる宗教的中心ではなく世界の政治にも大きな影響を与えている
1860年にイタリア統一した
イタリア王国は教皇領を没収したが、
のち1929年
ムッソリーニラテラノ条約によりヴァティカンを独立国
として承認した 
ミケランジェロのピエタをはじめ人類の財宝も多い
(ヴァティカン)  
世界遺産・フォロ・ロマーノ
古代最大にして最高レベルの文明文化を誇った
大ローマの最初の基点・起点である
狼に育てられた双子によって最初に建設されたという伝承があるが、そのひとり
ロムルスが名前の起源という BC6世紀から始まった此処の建設は神殿、広場、
元老院などが作られ、
ユリウス・カエサル(シーザー)によって大きく整えられ、
初代ローマ皇帝アウグストゥスによって完成形になっていった のちの
ローマ法王
ユリウス二世
はここの石材などをはぎ取ってローマ市街の整備をしたため、
フォロ・ロマーノは急速に消滅していったと伝えられる
 (イタリア・ローマ)




世界遺産・コロッセオ(羅:コロッセウム)
皇帝ネロの宮殿庭園の人工池が元である 75年から建設され80年から使用された
最初の100日間イヴェントが続けられ数百人の
剣闘士が死亡した 後に多くの建物の
建築材にされたので、現在のような欠けた形になっている 多くのスペクタクル映画
(史劇)にも登場する世界的にもっとも有名な場所のひとつである (イタリア・ローマ)
世界遺産・旧冬宮(現エルミタージュ美術館)
1917年の「
ロシア革命」の「11月革命」でサンクトペテルブルクのネヴァ川の
巡洋艦アヴローラ(オーロラ)号が
ケレンスキー内閣の冬宮を砲撃したことから始まった
かくして史上初の「
社会主義政権」が誕生した (ロシア・サンクトペテルブルク)
世界遺産・ウェストミンスター宮殿(英国議会議事堂)
英国史にたびたび登場する場所で
クロムウェル像も脇に立つ
19cに完成した建物だが二次大戦で一部は破壊され1950年に完成した
時計台ビッグベンはここの付属の塔 (英国・ロンドン)
英国最大の城・ドーヴァー城
11〜12cの
ノルマン・コンケスト以来の歴史を持つ城で、大陸との間のドーヴァー
海峡に面するため、歴代の王が拡張修復してきた また多くの歴史も残る一見の
価値のある城 (絵葉書より転載)(英国・ドーヴァー)


世界遺産・ロンドン塔 (英国・ロンドン)
11cイングランドを征服した
ウィリアム一世が命じて20年かけて完成した
13cからは政治犯を収容する幽閉処刑する監獄ともなり、
ヘンリー6世をはじめ
トマス・モア、ヘンリー8世妃アン・ブーリンなど王族、貴族が此処で処刑
された
ランズ・エンド (イングランド最西端の岬)
向こうには大西洋が広がりさらに果ては北アメリカがある 電信の
マルコーニ
アメリカ大陸と交信した場所との説もある (英国・コーンウォール州))
「日本のシンドラー」杉原千畝の旧カウナス日本領事館
6000人の
ユダヤ人をナチスから救ったヴィザを発行した外交官のオフィス
映画化されたため有名になった (リトアニア・カウナス)

「歌の広場」・・5年に一度のエストニア最大の祭り 民族衣装に身を包んだ
3万人以上の歌手と10万人以上の観客が集合する 1988年全国から集まった
30万人以上の人々が此処に集まり独立への思いを歌にした
「歌う革命」を実行
後の
「バルト三国」の独立運動に大きな役割を果たした (エストニア・タリン)


世界遺産・英国国教会大本山・カンタベリー大聖堂
トマス・ベケット大司教が国王と対立し暗殺された場所
チョーサーの「カンタベリー物語」で知られる (英国・カンタベリー)
自然史博物館 (オーストリア・ウィーン)
オーストリアの
ハプスブルグ家のコレクションの集合体が起源の美術史博物館
(美術館)と対になる博物館でウィーン大学の一部局 中央の像は
アントアネットの母
女帝マリア・テレサ(テレジア)で部下を従えて見下ろすように座る




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